バイト疲れで、ぼーっとしてました(ぇ
今日のバイトもちゃちゃっと終わらせれば、明日は吹奏楽の恩師と会えます。
吹奏楽の恩師。
それはそれは熱血で、面白くて。
生涯で一番の先生でございます。
というのも、私が吹奏楽を始めたきっかけが、この先生の勧誘からはじまったのでありまして。
時を遡って、小学校4年生。
本当はこの年に入りたかった吹奏楽部。
だけどエレクトーンなどと色々行事がかさなり、結局五年初期から。
最初、フルートに入れられました。
基本器用さと繊細さを持ち合わせてないため、クラリネットになりました。
基本器用さと繊細さを持ち合わせてないため、シンセサイザーになりました。
「お前のせいで、チューバの音がだめになる」
そう、幼馴染に言われましたが。
彼だって、自分勝手なトロンボーンを吹いて、チューバにさせられた身。
ふふ、結局似たもの同士だな、おいw
その小学校五年生にやった曲がダッタン人の踊り。
早い。
しょ、小学校でやる曲なのか?
その頃、低音が少なかったので、シンセは結構重要だったとも思われる。
低音がしっかりしてないと、曲はダメになる、と私は思ってるw
そして、この曲は好きだったため、かなり頑張った。
ただ、その演奏で中国大会はいけなかった。
けど、恩師が頼み込んで神戸の方の大会に出させてもらえるようにしてくれた。
金賞をとって、「あー終わり」じゃない。
次へ行こう、そんな感じ。
それに六年生は最期の演奏会とかになっちゃうからね。
やっぱり地方で終わるのは悲しい。
だから、恩師は頼み込んでくれたのだと思う。
そして小6になってもそうだったw
私はバリトンサックスに。
ベラ・バルトークの小組曲やりましたね。
その時もね。
恩師は我々を名古屋まで連れてってくれました。
恩師はいい先生よ。
複雑な子供心を理解してくれてたと思う。
時には厳しく、時には飴よりも甘くw
お正月にはお年玉を探せ!音楽室宝探しもやってくれたw
そんな面白い恩師が大好きだ^^
でも、恩師は私が小学校6年のころ。
卒業が一緒だったわけです。
その小学校に7年くらいいて、海外への転勤。
はっきりいって、その当時、かなりの衝撃でしたw
「え、やだ!」みたいなw
そして、私たちの最期の定期演奏会。
恩師は私たちを一人ひとり紹介してくれて、途中泣いた。
きっとすっごく想い入れがあったと思う笑
私たちの年、結構色々ありましたからね笑
もちろん、涙もろい私はもらいなきで、視界が歪んでましたw
先生の送別会。
それは私の中で一番大事な行事。
自分の卒業式よりも先生。
入学式よりも、先生、みたいなw
それほど好きでしたw
で!恩師が日本に帰ってくるのです^^
というか、もう帰ってきてるらしいwwww
ので、31日は食事会です^^
すっごく楽しみ!+
そうだなぁ…。
今の自分の中にある音楽的なにかは、その先生がいなきゃ、無かったものかもしんないです。
エレクトーンをやってるだけじゃ、皆であわせる楽しみがわからない。
アンサンブルってのがあったとしても、やっぱり吹奏楽の合奏とはまた違う。
皆であわせて、そしてその沢山の音の中で自分の音がまじっていく感じ。(わっかんないなw
自分の耳で聞いてて、すごい楽しかった小学校の吹奏楽!
そんな楽しさを教えてくれた恩師に感謝感謝なのです。
今はもう、遠のいてしまったけど、時々、あの雰囲気に入りたくなるときがある。
もういちどあの面白い合奏がしたいなーとか。
先生が投げる指揮棒に当りたいなーとか(Mか
うん、いい思い出w
とにかく今日を頑張ろう。
HP作業もバイトが終わってからいたします><
そしてバトンも><;
今日はもう寝よう。
恩師についてくどく語った天甜でしたw
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