私ってどこか意味不明な人物なので、なんとなく、ね。
自分について振り返ってみることにしました。
どうでもいいですけどね笑
山口県の田舎町、元気よく生まれました笑
小さい頃から迷子の常習犯でして、毎回買い物に行くと迷子になっておりました。
ものの3歳で迷子アナウンスの常連でいv笑
そしてすくすく餓鬼大将のような奴に育ち。
幼稚園に入園。
男の子を殴ったりイスを投げつけたり、幼稚園から脱走してみたり、雨の日の次の日の滑り台を逆さに滑って(頭を地面に向けて)、
髪の毛を泥水の中につけてしまったり。
ものすごく危ない園児でした。
今思えば自分でも恐ろしい・・・汗 そしてそんなガキ大将も小学生になりました。
田舎から大田舎学校に入学です笑春には毛虫の絨毯、夏にはムカデとカメムシとの防衛戦。
時には父方の祖母が干していた寿司の蓋(ちらし寿司などに使う、あれですw)を狸が持っていってしまったり。
そんなハプニングな田舎の学校です。
それでもなんとか1年頑張りました。
底なし沼にはまってみたり、水泳の記録大会で犬かきで初めて25mを泳ぎきってみたり笑そのとき一緒に泳いでいた人たちはもうゴールに行き着いてました。
もう参観日だったものですからね。
悲惨ですorz
で、そんな田舎とは1年間で終わり、やや都会に出ることになりました。
都会の小学校って、3クラスあるんですね!と驚きました。
田舎は1クラスだったからね汗 その小学校ではもっと悲惨なことがおこりましたね、田舎の学校の時よりも笑
もうご存知のように五年生のころにあった宿泊学習。
あれはもう忘れもしません。
カレーにバナナを入れたなんて・・・!!!汗
そして吹奏楽に出会ったのもこのころでして、最初はフルートなんかはどうかといわれましたが、主旋律を吹こうなんてこれっぽっちも思ってなくて、
次にクラリネットを進められても微妙でして。
結局シンセサイザーというキーボードになってしまいw
そのころやっていたのがダッタン人の踊りというボロディン作曲の曲がありまして。
低音が不安定だ、と、チューバの補佐に回っておりました。
そして六年でバリトンサックスへ。
あれは重かった。なんだあの鉄のかたまりは汗家にもって帰るのに(学校から家まで1.5キロ以上ありました)すごく辛かったぞ!!汗
まるで棺桶だw
もう大会の時の楽器運びなんて最悪でしたね笑
でも低音楽器は大好きでしたので、ま!よかったんですけどねw
そのおかげで「低音さえ分かれば曲の大体が分かる」ようになりました。
低音も捨てたもんじゃありませんよ!(誰も捨ててません
それでもって中学校です。
オタクになりましたw(実は小学校4年あたりからFFマニアに笑)
初めてやったのが確かFF4でした。
中学のころは10にはまり、他にも幽白にもはまったりしました。
初めてマウスで絵を描きだしたころでもありますが・・・。
ここでも低音に恵まれ、ファゴットという楽器になりました。
それにしても吹奏楽は柄が悪かったw
2個上の先輩は優しかったのですが、1個上の先輩・・・ね。汗
死ねとか言わないの;汗
もちろん心優しき先輩もいらっしゃいましたがね^^v
ま・・・このころになると、女子は喧嘩が多いですね。
私ももちろんありましたw
今思えばやっぱり餓鬼ですよね・・・原因が些細なことですもの笑
でもあの頃はまだしょうがなかったのですよね笑
というわけで、中学は無事卒業できました。
修学旅行では京都、大阪へ行き、いろいろな発見をしたり。
西陣織はもう一度やってみたいですね笑 USJはジョーズのところで水をかけられ。
かけた犯人がサメならいいんですけどね、私の場合、なんかよくわからん缶からかけられました。
ジュラシックもよかったですね^^
最後のあいつには一番びっくりして、落ちるどころじゃありませんでした笑
個人的にはETに感動しました☆
さーて、中学までの自分を振り返ってみました。・・・。
普通な人生ですなw 高校からはややオタク街道をひた走っておりますのでね笑
また今度振り返っちゃいましょう^^v笑(ぇ
では、これにて失礼vvv汗
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